2007/11/15

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art drops 第8回 インタビュー  

11月:鼻=匂い、時代に敏感な感覚 小崎哲哉さん(編集者) ―前編―

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「病にあらがうもの、それが表現だと思うんです」

 

映画、演劇、音楽、展示会などの総合情報を、日本語と英語のバイリンガルで掲載するウェブサイト『REALTOKYO』や、年4回発行される現代美術を中心にアートを紹介する雑誌『ART iT』を発行する小崎哲哉さん(52)。ウェブサイトの運営と雑誌編集を両立して継続するだけでもその苦労は想像に難くない。しかし、忙しいスケジュールを縫って、鋭い嗅覚の導くまま、縦横無尽に都市東京を駆け巡っている。その嗅覚の先にあるものを覗いてみた。


■本や映画が好きだった少年時代

小崎哲哉さんは1955年、東京都に生まれる。

小学校の頃から文学などありとあらゆる書籍を読みあさった。書籍に興味を持つようになったきっかけは意外にも、当時『少年マガジン』に掲載されていた『明日のジョー』や『天才バカボン』に代表されるマンガだったという。高校生になってからは映画にも興味を持ち始め、大学3年生のとき映画好きが高じて、とうとう単身渡仏した。

屋根裏の部屋から毎日市内の映画館に通った。
「お金があったら“シャンパンと薔薇の日々”だったんですけどね。お金がないから安ワインと屋根裏の日々でした(笑)」
パリには1年半滞在した。帰国後、もっと遊んでいたいなと留年を選択。映画や文学に没頭し、6年かけて大学を卒業した。

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しかし、卒業はしたものの、何をやっていいかわからない。知人に相談し、つてで紹介された編集プロダクションに入社。様々な雑誌の編集を手がけた後、1984年に新潮社に途中入社した。

 

■ターニングポイント

1984年は小崎さんにとってターニングポイントになった年でもある。
「確か84年だったと思うんだけど、他の都市ではどんなことをやっているんだろうと思い、NYに行ったんです。
NYで旅行者がカルチャーイベントを知ろうと思うと、方法は2つあります。1つはNYタイムズの日曜版とフリーペーパーのヴィレッジ・ヴォイス紙。2つめはその土地の信頼できる人に聞くこと」。

当時の日本ではこれらに代わるものとして『ぴあ』があった。しかし、なんだか物足りない。
NYではカルチャー雑誌といえども生活や社会と乖離したものではなく、政治的オピニオンもはっきり持っていた。
同じように、その土地でリアルに流行っている文化を伝え、作品がつくられた社会背景、監督の思いなども伝えるようなメディアをつくりたい。そんな思いから1989年、新潮社でトランスカルチャー雑誌『03』を立ち上げた。

毎号『都市』特集を組んで、パリ、NY、香港、京都といった世界の都市を紹介していった。しかし、仕事やプライベートでいろいろなことが重なり、創刊から1年後に新潮社を退社。
神奈川県の逗子にアパートを借りて、毎日海岸でビールを飲みながら文庫本を読む生活を、1年ほど続けた。そして2度目の転機が訪れる。

 

■苦境をチャンスに変えて

「内田勝さんという、少年マガジンの黄金時代を築き上げた伝説的名編集長が、『小崎君、そんなところにずっといたら駄目になっちゃうよ』と再び東京に引き戻してくれたんです(笑)。あれがなかったら戻れていないですね」。

1990年代初頭、インターネットはまだ一般には広まっていなかった。
内田氏は電子出版や、将来的にはゲーム制作まで含めたシステムを構築しようという壮大な構想を練っていた。
しかし、この計画自体は1年も経たないうちに頓挫し、計画に参加していた小崎さんの手元に残されたのは、1台のマッキントッシュと周辺機器、そして100万円にものぼるローンだった。

「仕方がないのでこれで何かつくらないと、と。たまたま、作家の松井今朝子さん(※1)、とプライベートで親しくさせていただき、しょっちゅう歌舞伎に連れていってもらっていたんです。それで歌舞伎が好きになって、これをCD-ROM化しようと」。

権利関係でいくつか大変なこともあったが松井氏の素晴らしい監修もあり、完成した『デジタル歌舞伎エンサイクロペディア』は、財団法人マルチメディアコンテンツ振興協会主催の「1995年度マルチメディアグランプリ・パッケージ部門教育作品賞」、「仏MILIA D`OR 1996 審査員特別賞」を受賞した。

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デジタル歌舞伎エンサイクロペディア(現・マルチメディア歌舞伎)

歌舞伎を「歌舞伎とはなにか」「歌舞伎の演出と演技」「歌舞伎のキャラクター」「歌舞伎の舞台空間」「CG・歌舞伎の舞台」「歌舞伎名作ビデオ集」「歌舞伎データベース」の7つのブロックに分け、画像とともに説明するCD-ROM。

 

この経験を買われ、1996 年にはインターネット・ワールドエキスポ(※2)の日本ゾーン・テーマ館のエディトリアル・ディレクター(※3)を任された。

 

■媒体に必要なのは継続性

2000年には以前art dropsもインタビューをさせていただいた芹沢高志さん(現P3 art and environment主宰)とともにウェブサイト『REALTOKYO』を立ち上げる。

面白いものを見たい、知りたい。ウェブサイトまでつくり上げてしまう小崎さんの貪欲な好奇心は同時にバイリンガルへのこだわりにも現われている。
「僕らは海外の、他の都市のこと知らないでしょ? 今海外の同世代の連中がどんな映画を観て、どんなこと考えて、何を感じているか分からない。もちろんハリウッドなどの情報はありますよ。でも、もっとディテールの部分、一番面白い部分を知らないんじゃないかなという思いがあるんです。それで、まずは自分達の国で何をしているかを、外国に向けて発信をしていこうと。それでバイリンガルにしたんです」。

しかし、メディアを持つということは単に面白いものを発信したいというだけでは成り立たないようだ。
「あらゆる媒体に必要なのは、まず継続性だと思っているんです。『REALTOKYO』も立ち上げから曲がりなりにも7年間継続してきました。『REALTOKYO』に代わるものが現われない限り、継続していかなければならないと思っています。そうすると、書いてくれる人や運営する人がハッピーで続けられるために、例えば原稿料を出せるようお金をどこかから引っ張ってくるとか、サイトを下支えする構造が必要だと思いますね」。
また、こうした理由もあり、使いづらくなったシステムの見直しも含め、『REALTOKYO』は近々、大幅にリニューアルされる。

 

>>小崎哲哉さんインタビュー の後編はこちら

 

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