2007/7/15

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art drops 第4回 インタビュー  

7月:目=視線、視点 アーティスト/須田悦弘さん

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「百合」2007 

木に彩色/ギャラリー小柳の展示より (※1)

見えにくいことも“見る”ことの一部だと思う

 

広い空間に、1枚ひらりと置かれた葉っぱ。コンクリートの壁から“咲く”花。それらの植物は繊細につくられた木彫りによるもの。ときには壁に、ときには天井近くの片隅に、静かにたたずんでいる。須田悦弘さん(38)の作品はシンプルでユーモラスで、潔い。そしてとても上手に、鑑賞者の視線を彷徨わせる。
空間のイメージに合わせて彫った植物と、その植物を置いた空間、両方でひとつの作品としている須田さんは、空間をどう見ているのだろうか。

■木を彫るきっかけは学生時代の授業

「そんなに特別な人生ではないんですけど」と須田さんは穏やかに話しはじめてくれた。

1969年、山梨県出身。家は兼業農家を営み、三人兄弟の次男坊として生まれた。小さい頃から絵を描くのが好きで、画家を夢見ていたという。

しかし、画家をしている父親の友人から“画家は食えないから商業美術に行ったほうがいい”とアドバイスもらい、多摩美術大学のグラフィックデザイン科に入学。

そして1年生のとき、須田さんは初めて木彫りを体験する。

「基礎実習の立体造形という授業で、板で干物を模刻(もこく)して色をつけなさいっていう課題が出たんです。それでスルメを彫ったのきっかけだったんですよ」。
結構うまくできて、同級生や先生にほめられた。
「こりゃいいなと思って。それから家とかでも彫るようになりました」。

その頃彫っていたのは、根付や舟越桂さんが彫っているような人物像の縮小版。そして、自然の多い山梨とは環境が違うせいか、上京するまで興味のなかった植物にも、なんとなく興味が出てきた。
「木を彫ってたんですけど、同時に花の絵も描くようになっていて。じゃあ花も彫ってみようかなって。一番最初に彫ったのはたしかチューリップのつぼみだったと思います。だからその時は、色々なことやっている中のひとつに植物があるような感じでした」。

大学生時代は、現代美術や日本の古い美術、木を彫ること、植物などに対する興味も深めていった時期。とくに、日本の古い美術は、現在の作品にも大きく影響している。
例えば、木彫りの植物と空間の両方が関係しあってひとつの作品になる、という考え方は、仏像がきっかけだった。
「同じ仏像を、博物館の展覧会と、本来あるお寺の両方で見る機会があったんですけど、見え方がものすごく違うんですね。仏像が本来置かれる場所にあるほうが、すごく素敵に見える。仏像はお寺のために、お寺やお堂はその仏像のためにつくられてるから、その相互の関係がマッチしたときに、物の見え方がすごく変わる。空間で違うというのをすごく感じたんです」。

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「雑草」2007 木に彩色/府中市美術館での公開制作より。竹久夢二の「少女」(制作年不明)は、同美術館の所蔵品から須田さんが展示のために選んだもの。

 

■どっちかというと寄生している感じ

見ていたところから、ふっと視線をそらしたとき、視界をかすめる。須田さんの作品は、そんなところに存在している。空間に合わせた展示をしているというが、配置するポイントはどうやって探すのだろう。

「“探す”というか“見る”感じですね。その空間独特の雰囲気を持った場所を見つける感じ。単純に、自分が気になる部分がどこかなって」。

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「躑躅(つつじ)」2005 木に彩色/ギャラリー小柳の展示より。

 

そして木彫りの植物たちは部屋の隅や天井近くに、あるいは床に大胆に置かれる。そこが須田さんの気になる場所。
「往々にして真ん中とかではないですよね。端っことか隙間とか、そういうメインじゃないところがすごく好き。そうじゃない場合もあるんですが」。

展示場所によっては、気づかれないこともある。
「多少見えにくいかなと思ったりはしますけど、隠して“さあどこでしょう?”っていうつもりはないです。ただ何人か見落としてもいいかなとは思ってる。隅っこが空間の一部であるように、見えにくいことも“見る”ことの一部だと思うので」。

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「燕子花(かきつばた)」2007 木に彩色/ギャラリー小柳の展示より。「ぱっと見で見えないところも含めてその空間全部ができあがってくると思う」(須田さん)。


一度発見すると、植物たちはとても大きな存在感を放つ。作品自体は小さいのに、周りの空間を支配しているような気さえする。
「支配してるつもりはないんです。どっちかというと寄生している感じ。クモとかに近いかも。気づいたらなんかいるな、ぐらいの感じがいいんですね。ちょっとここに置かせてもらおうかなって意識でやってます」。

 

■ギャラリストとの出会い

須田さんの中で、もっとも大きなターニングポイントになっているのは、1996年頃。現在所属しているギャラリー小柳や、ドイツのギャラリー、ボンマシーネと付き合いが始まったこと。

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「葉」2007 木に彩色/ギャラリー小柳の展示より。葉っぱの穴は、薄く削っていくうちに自然に空くのだとか。


どうやったら美術で食べたり、美術館で展示ができるのか。それまでわからなかった、その仕組みがようやくわかってきた。
「ギャラリーで発表すると、他のところからもギャラリーを通してお声がかかってくる。そこでまた発表をする。発表した作品をギャラリーがどこかに売ってくれて、自分のところにお金が入る。いわゆる社会みたいなものが見えるようになりました」。

それは3度目の展示のとき。たまたま日本に遊びにきていたボンマシーネのスタッフが展示を訪れ、作品を購入したいと言ってきた。
「ほとんど英語がしゃべれない状態でよく通じたなと思うんですけど。作品が非常に壊れやすいからドイツに手で持って帰りたい、今くれって言う。しかも、明日帰るから100マルクしかない(当時はまだマルクだった)。足りないので、100マルクは手付けで置いていくから、銀行口座と名前と電話番号書けって言われて書いて。それで作品を持って彼は帰ったんです」。

そしてこれが、須田さんの作品が初めて売れた時だった。

この時の100マルクを、須田さんはいまだにとってあるという。

その後、お金はきちんと振り込まれ、なにごともなく数年が過ぎる。
彼のことを思い出したのは、ヨーロッパにちゃんと美術を観にいこうと決心した時。
「全然音沙汰がないけど、連絡してみようかなと思っていたら、夜中に電話が鳴ってそいつからFAXが来た。こっちに来ることがあったらいつでも連絡してくれ、みたいな感じで。渡りに船ですよね。それで訪ねて作品ファイルを見せたら、今度そこで展示するかって話しになって。それ以来付き合いは続いています」。

須田さんは海外でも数多くの作品を発表しているが、ボンマシーネ経由でくる話しは多い。
活動の場を広げる、大きな出会いだった。

 

■アートとは、特別なものではない、ひとつの職業

須田さんはアーティストになると決心した時から、「これ(美術)で食うのが一人前というか、プロになるための条件」と思っていた。
だから「アートとは一職業だと思います」と言う。

「最初、アートはものすごく特殊なものという意識があったんですけど、やればやるほどそんなことはないなって。特別だと思うと、特別だから食わなくていい、周りの人に認めてもらわなくていい、わからなくて当然だ、みたいにどんどん殻に閉じこもってしまう。それはあまり健全だと思えなかった。それで美術ってなんだろうって考えたら、一職業かなと」

 

■“もう完璧”っていう作品は今まで1個もない

アーティストを「仕事」としてとらえている須田さんは、技術にも誠実だ。

魅力的な木彫りの植物は、思わず摘みとりたくなってしまうほど精巧にできているが、もともと器用なわけではないらしい。
「親がいうには不器用だったって。彫るときは左手で木をおさえるので、昔は左手をよく切ってました。合計で20針ぐらい縫ったかな」。

最近ではあまり手を切らない。十数年、木で植物を彫り続けているが、技術には日々進歩があると実感している。
「たぶん限界がないと思うんですよね。完全にやりきるっていうのは死ぬときぐらい。ぎりぎりまでねばってつくった作品でも、今見るともうちょっとこうしたいというのがある。だから、“もう完璧”っていう作品は今まで1個もないんですよ」。

題材に植物を選んだのは、人のやっていないことがやりたかったから。
「アーティストになるって決意してから、何をやろうって考えたとき、木を彫って何かやりたかった。中でもあまり人がやっていなそうな分野が植物だったんですね」。

須田さんは、これからも飽きるまで植物を彫り続けるそうだ。果たして飽きる日が来るのかはわからないが、展示のたびに進化している須田さんの作品を、これからも見つけに行きたいと思う。

 

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府中市美術館での公開制作の様子。左手と右手の微妙な感覚を感じながら彫る。(画像提供:府中市美術館) 府中市美術館での公開制作より。いろいろ試した末に、彩色には岩絵具、木材は朴(ほお)の木を使っている。(画像提供:府中市美術館) 府中市美術館での公開制作より。府中市美術館では、茎の下の部分を細く尖らせて、きりで開けた穴に差し込んで設置した。(画像提供:府中市美術館)

 


■結び
須田さんの存在を知ったのは、アートの講座で、講師の話しに出てきたのが最初。見つけにくいところに美しい木彫りの植物を展示する――「なんておもしろいことをする人なんだ!」とワクワクした。それからいくつかの展示を拝見することができて、どんどんファンになった。須田さんの作品は、いつでもとても新鮮に感じる。

須田さんは月が好きだそうだ。そういえば木彫りの植物たちも、太陽に向かってのびている感じはしない。須田さんの作品には神秘的な月明かりが似合うと思った。

 

 

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須田悦弘(すだよしひろ)


アーティスト。1969年、山梨県生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。94年から99年まで中村哲也、中山ダイスケら数人の作家と共に「スタジオ食堂」で活動。93年「銀座雑草論」、2000年「ハラドキュメンツ6 須田悦弘 泰山木」(原美術館)、2006年「須田悦弘展」(猪熊弦一郎現代美術館)など展示多数。日本をはじめ、アジアやヨーロッパなどでも精力的に作品発表をしている。東京都の原美術館、香川県直島のベネッセハウスなどに常設展示あり。
好きな言葉:因果応報

 

(展覧会情報)
■「花咲くころ ―モネ・ルノワールから須田悦弘、澤登恭子まで」アサヒビール大山崎山荘美術館
会期:2007年6月20日(水)〜9月17日(月)
詳細はこちら

9月にはドイツのボルクスブルグのギャラリーで、11月にはロンドンの「ヴィクトリア&アルバート美術館」でグループショウ。同じく11月にソウルのギャラリーPKMで展覧会の予定。

■手書き一問一答
好きな本:『方丈記』鴨長明
おすすめの店:上野 鬼太郎寿し

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(※1)「ギャラリー小柳の展示より」の画像は、2007年6月26日(火)〜7月28日(土)まで開催の「須田悦弘」展から。

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(c)須田悦弘

text:谷屋、edit:ドイケイコ、photo:ドイケイコ(府中市美術館の展示物)、谷屋(ギャラリー小柳の展示物)
協力:ギャラリー小柳、府中市美術館

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