2008/2/15

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art drops 第11回 インタビュー  

2月:口=伝える 
山本紀子さん(webデザイナー/森美術館非常勤スタッフ) ―前編―

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伝えることは共有すること

山本紀子さんは、都内の会社で働く傍らプライベートの時間を駆使し、『アートを伝える』取り組みをされている。森美術館での非常勤スタッフやボランティアなどを通じて、アートに関わることを仕事にするという目標の実現に向かって、数ある情報の中から、自分に合った方向性を自分自身の足を使って浮かび上がらせていっている。山本さんにとって『伝えること』、『アートに関わる仕事につくこと』とはどのような意味を持つのだろうか。お話を伺った。


■きっかけは好きなアーティストのポスターから

山本紀子さんは1979年、和歌山県に生まれる。

中学生のとき、好きになったミュージシャンのポスターが格好良かった。

「音楽は出来ないけど、音楽を支える仕事に就くことで、好きなミュージシャンの応援ができるかもしれない。そう思って、広告の仕事に興味を持ち始めたんです」。

広告に関係する仕事に就きたいということが、きっかけとなって多摩美術大学情報デザイン学科に入学した。

「新設の自由な学科だったので、他の学科に比べて課題が少なく色んな事をするチャンスがありました」。

その言葉どおり、映像に興味を持ち大学2年生のときは映像制作を学ぶためイメージフォーラム(※1)の付属研究所に入所。その後、大学3年生のときには広告の学校にも通った。興味のあることを出来る限り吸収しようとしていた学生生活も、卒業制作展示を行う4年生を迎えていた。

「入学した学科は新設で、私たちは第2期生だったので、卒業制作展示のお手本にするものがほとんどなかったんです。それは一年かけて、展示会場を決めたり自分たちで企画運営まですべて行うものでした。その中で私が担当したのはカタログ制作のチーフだったんです」。

卒業制作展示は、120人ほどいる情報デザイン学科の4年生が各々自分の作品を制作し、2手に分かれて卒業制作を展示する。
山本さんは、この卒業制作展示のカタログ制作チーフという大役を任された。

「展示会場に作品は残りませんが、カタログは手元に残るもの。だから、本棚に並んでも恥ずかしくなくて、いつでも引っぱり出せるものを作ろうと思って。みんな本当に仲が良くて大好きな仲間だったので、みんなのために自分の時間を削るのは苦ではありませんでした」。

いつしか自分の作品を制作は二の次になっていった。何よりカタログを作り上げ、この卒業制作の展示に貢献することに一番の喜びを覚えていた。
結果、数百部制作したカタログを全て売り切り盛況のうちに終了した。

「そのとき、明確ではないけれど、私は制作側ではなくて、裏で支えることに喜びを覚えるタイプだなと漠然と感じたんです」。

卒業制作展に向けて完全燃焼した。一方で、雑誌社での編集職の内定を貰ってはいたが、先方との意向が合わず卒業間近に辞退した。

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山本さんがチーフを勤めた卒業制作カタログ  

 

 

■社会人になって考え抜いた日々

卒業後、学生時代に身につけたスキルを生かしてフリーランスのデザイナーを約8ヶ月ほど経験した。同時に次の方向性も練っていた。

「普通の書籍にはない装丁と、記録メディアとして特殊な機能を持つ美術館のカタログが大好きだったんです。
ICC(※2)や森美術館のカタログを手掛けるデザイナーの近藤一弥(※3)さんのデザインが凄く好きで、当時、たまたま事務所( KAZUYA KONDO INC. )で人を募集していたので、自分のそれまでの作品集と履歴書に思いのたけを綴った手紙を添えて応募したんです」。

カタログ制作に興味を持つ若いデザイナーが少ない上、手書きの手紙が関心を呼んだのか、敬愛する近藤一弥氏に直々に面接を受ける機会を得た。

「ようやく辿りつけた面接では、開始と同時に凄く怒られましたけどね。(笑)全然レイアウトになってないよ。とか、ソフトの使い方なってないよとか。
でも、一方で『別に苛めるために呼んだんじゃないんだよ。カタログのデザインをしたいって人は珍しいから呼んでみた。でも、今の君の力量だと採用することは出来ない。だから、いつか力をつけてまた受けにいらっしゃい』とも言ってくださったんです」。

採用には結びつかなかった。しかし、ここでの出会いは山本さんにとっての大きな転機になったという。

「あこがれていた方と色々とお話しできたことがむちゃくちゃ嬉しくて。その時に気がついたんです。私はその人の作品が凄く好きで、その人を超えたいとか思うんじゃなくて、この人の作品をいつまでも見ていたいんだと。だったら、自分が発注をする側になって一緒に仕事ができるようになりたいって」。

今まで漠然と感じてきた自分自身がする制作する側か、アートを支える側かどちらに立ちたいのかが明確になった瞬間だった。

アートを支える側に立つために山本さんは、コンテンポラリーダンス雑誌の創刊に携わるなどいくつかの職場を経て、2004年森美術館で非常勤スタッフとしての採用が決まり、都内のワインを輸入する会社に正社員として入社した。

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<脚注>
※1:イメージフォーラム 東京・渋谷に所在。ミニシアター系の映画が上映される。また、付属研究所では、映像制作を1年間通じて学べる映像制作コースとアニメーションコースがある。

※2:ICC NTTインターコミュニケーション・センター(略称:ICC)。東京オペラシティタワーに所在するNTT東日本が運営する文化施設。科学と芸術を結ぶメディア・アート作品の企画展を展示している。

※3:近藤一弥 1960年東京生まれ。桑沢デザイン研究所グラフィック研究科を卒業。1992年 KAZUYA KONDOINC.設立。アート関連のエディトリアル、ブックデザイン、ポスターデザインを手掛けるグラフィック・デザイナー。

 

>>山本紀子さんインタビュー の後編はこちら

 

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